世の中には、がんばって手に入れたほうがよいことと、がんばってもこじれるだけなので手放したほうがよいことがある、ってことでご無沙汰しておりますmumuzuleです。結局、毎日更新する気はあるのかないのかと問われると更新する気はあるけどやる気がないとしか言いようがないですな。あっはっは。

界隈で「うらやましいという気持ち」「嫉妬」についてのエントリがにぎやかなので、久々に参加してみたくなって更新しようかと。ちょうどよいところに、Amazon.com CEOのジェフ・ベゾスの講演の話も出回っておりまして。
祖父はとても賢い穏やかな人でした。祖父に叱られたことは過去に一度もありませんでした。これがその記念すべき最初になるんだ、いや待てよ、もしかしたら、車に戻っておばあちゃんに謝りなさい、と説かれるのかもしれない、なんて不安に思っていました。今までこんなことは一度もなかったので、一体これから何が起こるのか想像もつかなかったのです。

彼はトレイラーの横で立ち止まりました。私もそこで止まります。少しの沈黙の後、彼は私をしっかりと見て、やさしく穏やかにこう言いました、「ジェフ、いつかわかる日が来ると思うが、賢くなるよりもやさしくなるほうがはるかに難しいことなのだよ」

(中略)

賢さは生まれ持った才能ですが、やさしさは選択です。生まれ持った才能とは、言ってしまえば与えられたものなので努力を要しません。その反面、選択をするということ、これは難しいことなのです。気を付けなければ、才能は私達を傲慢にします。そして自分の才能にうぬぼれると正しい選択をすることが出来なくなります。

「才能と選択の違いを知ること」 Amazon創業者ジェフ・ベゾスが卒業式で語った、道の切り開き方 | ログミー[o_O]
負けない気持ちで「賢さ」を追いかけ続けることもしんどいことですが、実りがあるならそれもいい。
でも実りが誰の手にも落ちないか、実りの総量が減る場合に、負けたり折れたり流したり、手放す選択をすること、と、その選択を抱えてその後も生き続けること、は、もっと難しいことです。確かに。

ヨガのシャバアサナ(死体のポーズ)っていうのがありまして。仰向けにだらんと寝て瞑想するんですが、瞑想の始めに、インストラクターから声を掛けられるのは「心に浮かぶいろいろなことを否定もせず、肯定もせず、浮かべて、その後にふっと手放していってください」という言葉です。次々に湧く思いや考えを、浮かべては横たわった自分の体から風船のひもを離すように切り離していく。それやんないと、死体になれない。

これねえ、私がまだまだうつ病だったころの方が、実はカンタンでした。すぐに死体になれた。どんなことでも手放しに手放してました。いつ死んでもいいと本気で思ってて、ほとんど死んでたからだろうな、いろんな意味で。でも離すと何かから放たれるので、気分は軽くなっており、ポーズの後では「死ぬのはいつでもいいか」ってなるから面白い。
最近はこの瞑想が難しくて、なかなか煩悩から開放されないので、その後の涅槃のポーズから起き上がるところへ移行するのに時間がかかって、朝起きられないんですよねえ。まあ、遅刻の言い訳ですけど。

話が逸れた。手に入らないものがあると知っていることは幸せです、という話でした。
そういう心の機微を持つことの豊かさは感じていて大切にしていたのですが、ジェフ・ベゾスの話を読んで言語化できたというか「分かった」 と納得したのは、手に入らないものがあると知りながら、あがいたり持っている人を邪魔したり文句を言ったりしないことの方が困難でチャレンジングでエキサイティングだからなんだなあ、ってことでした。

えーと、だからって努力すれば手に入るものまであきらめちゃだめなんですよ、と明日ブログを更新するはずの自分に発破をかけて、本日の締めとさせていただきたいと思います。ご静聴ありがとうございました。